2017年3月9日木曜日

国語と道徳の授業の違い

小学生の子供の教科書を読んでみると、「道徳と国語をごっちゃにしているなぁ」と感じることがあります。

道徳では、人とはどうあるべきかとか社会においてどうふるまうべきかとかいうことを習います。

国語では、思いや考えを正しく読み取る、あるいは正しい言葉にして伝えることを習います。

しかし時々、国語の教科書や授業で道徳のような説教くささを感じます。用いられる文章や問題から、人は優しくあれとか自己犠牲を尊べとか昔の人は偉かったと言えとかいう意図がありありと伝わります。

そういうのがダメとは言いませんが、国語は国語、道徳は道徳とすべきです。両者の違い、分かりますか?

たとえば、家族について作文を書く国語の授業があったとします。

たかし君は、「弟めっちゃ嫌い」と書きました。これに対しどう添削するかは、国語か道徳かによって違います。

これに対し、先生が「そうですか...それは寂しいですね」「家族は仲良くしましょう」などとコメントしては、国語の授業とは言えません。

国語なら、このようにコメントを入れます。

・助詞を正しく使いましょう
・「めっちゃ」ではなく「とても・非常に」と言った言葉を使いましょう
・なぜ嫌いなのか、理由を明確に書きましょう

自分の考えや思いをどういたら正しく伝えられるかを学ぶのが国語です。「お前のその考えどうよ」とか「そんなこと言ったらいけないぞ」とか言い出したら説教の領域です。

学問を説教にしたとたんに、勉強はつまらなくなります。善悪、明暗、前向き後ろ向き、白黒グレーすべてが存在するから言葉の世界は美しいのであって、白とピンクとパステルカラーだけの世界はどこかウソっぽいことは子供にだって分かります。

学問と説教は別にしていただきたい。