2016年11月23日水曜日

【へたうま】ケチなのか太っ腹なのか

あやに9歳はケチである。
どのくらいケチかというと・・・



しかしこれがお金のことになると・・・



なんという太っ腹。

うちは定額のおこづかいはなくて、
すべて家庭内アルバイトで稼ぐ方針(ただし時給はけっこういい)。

皿洗いやゴミ捨てで稼いだ200円はけっこうな大金のはず。
それを妹にさらっと渡す。ジュース1ミリでもゆずらない姉が。

お金の計算ができない子だとは思えないので、
ケチなのか太っ腹なのかまだ判断つかず。




2016年11月17日木曜日

育児にとって害悪なのはスマホではなくて「正論」

日本小児科医会が、読売新聞で「スマホ子守やめて」と啓発記事を載せたことが話題になっています。なぜかリンクは削除されているので以下引用。
”日本小児科医会の内海裕美常任理事は「乳幼児期は脳や体が発達する大切な時期。子供がぐずるとスマホを与えて静かにさせる親がよくいるが、乳幼児にスマホを見せていては、親が子供の反応を見ながらあやす心の交流が減ってしまう」と指摘する。また、画面をなぞるだけの仮想体験を重ねることが、手の機能や五感を育むことに影響を与えかねないと心配する。
子供をあやすためにでんでん太鼓を与えることとスマホを与えることと何が違うんだろうという疑問はさておき、何事もやりすぎはよくないので、スマホも状況を見て適度に使えばいいし、絶対にダメと言い切るほどには悪影響の内容は明らかになっていません。

心配しなくてもほとんどの母親はほどよく活用しているし、子供との交流や五感の発達に気を配っています。たまたま一時的にスマホを使っている母親を見かけたからといって、今どきの母親はと憤る必要もないし、子供の将来も日本の未来も憂いる必要はありません。

大丈夫、ママたちはあなたたちよりもしっかりしています。


小児科学会がなぜこのような啓発をおこなったかは分かりませんが、「正論」であることは間違いありません。学会が正論吐くのはいいとして、このような「正論」にのっかかって子育て中の親をむやみに叩こうとする人が出てくるのは困ったものです。


スマホに限らず、育児とはこうあるべきだと「正論」をふりかざす人はいつの時代にもいます。

そういう人は子育てをやったことがないか、たまたま育てやすい子だったおかげでうまくいった経験者であって、いずれにしても実際にタフな子育てをするにあたっては参考にするに値しないご意見しか持っておられない方々なので、イタズラをした子供を見つめるがごとく「しょーがないわね」でスルーするのが正しい対応かと思います。


母親と子供がほほえましく交流している図を見たい人って、どうしてこんなに多いんでしょうね?
(↓こういうやつね)








しかも決まって母親ですよね。母性と自己犠牲により子供に注がれる「無償の愛」?どうしたの?あなたの母親からの愛情が足りなかったの?それとも優しいママンがなつかしいの?だからみんなにもそうして欲しいの?郷愁でしょうか、いいえマザコンです。


「子育てとはこうあるべき!」言われる内容は、「正論」っぽく聞こえます。ただし実効性はありません。それだけでなく、正解がないはずの育児にわざわざ正解を作って、そこから外れた人をダメ認定する「正論」の不寛容さは、間違いなく育児にとって害悪です。

スマホを使ってはいけない、ベビーカーではなく抱っこひもにしろ、いつもニコニコしろ絶対怒るな、手間をかけた手作りの食事を毎食用意すべき、自由にのびのびさせろ、イヤしつけと礼儀作法が先、母親は自分の楽しみをすべて犠牲にして子供に尽くすべき・・・。

よし、わかった、お前がやれ。


安全なところから正論を吐くのは気持ちがいいですが、子育てには役に立ちません。子育てにはまだまだ分からないことだらけですが、これだけは断言できます。正論は不要!

私たちは本当の育児で忙しいので、机上の育児はよそでやっていただきたい。


2016年11月13日日曜日

赤ちゃんの理解力をナメてはいけない

ある大学の大学院に、認知発達に関する研究に協力するため、1歳の息子を連れていきました。
人の目線や表情から、赤ちゃんが何を理解しているかをみる実験です。

めたくそ面白かったです。
みなさん、子供が小さいからと言って甘くみてはいけません。この子たちは、まだ言葉も話せないうちから、すべてのことを理解しています。


実験では、子どもに特殊なセンサーを付け、映像を見ながら目線と顔の筋肉がどのような動きをするのかモニターしました。映像には目の前におもちゃが置かれた女性が映し出されます。女性の目線はおもちゃにそそがれ、やがておもちゃを手にしてうれしそうな顔をします。

これにより子どもは女性がおもちゃを求めているんだということが分かります。

次に、おもちゃの前に目隠しが置かれます。女性からはおもちゃが見えないことを、子どもは理解します。「相手の立場に立って」考えられているということです。女性はおもちゃを探しますが、見えないことになっているので、見つけることができません。子どもは、困っている女性に、「そこだよ、そこだよ」と教えるようなしぐさをします。







この実験により、子どもはまだ言葉も話せないうちから以下のことをやってのけていることが分かります。

・ 相手の目線が何を指しているか理解する
・ 相手の求めていることを察知する
・ 楽しい、困っているなどの感情を見分ける


息子の目線はレーザーポインターのように映像に映し出されました。子どもは思いのほか相手の目をしっかり見ています。よくマナー講座なんかで「顔全体を見る」なんてアドバイスされますが、本能的にはバッチリ眼球を見るようになっています。

そして興味深いのは、多くの場合相手の右目を見ていることです。これは映像は主に右脳で処理されるため、自分から見て左側の情報を重視する傾向があるためです。視線を表す赤点がお姉さんの右目を指しまくっててちょっとこわかったです。


あと、テストで使われた映像には女性しか出てきませんでした。わけを聞くと、1~3歳くらいまでの子は男性をこわがったりいやがったりするので、目線や顔の筋肉の動きが正確に収集できないからだそうです。

小さい子が男の人を嫌い女の人を好むのはやっぱり統計的に正しいようです。こういうデータを見ると、「育児は女の仕事」てな意見には「うるせーバカ」と思っていた価値観が少し揺らいでしまいます。

子どもは相手の目線だけでなく、表情にも敏感です。相手が笑うと自分もつられて笑い、泣いていると顔がこわばります。感情を共有できることは「共感」であり、これは人同士が信頼関係を築くために不可欠なものです。1歳どころか数カ月の赤ちゃんでもこの能力はすでに備えています。


もちろん成長や正確には個人差があり、上記のような結果が出なかったとしても気にする必要はありません。ただ、一般的に人は人とうまくやるために特殊な能力を小さい頃から持っていることは確かです。

「人の目を見て話しましょう」
「目は口ほどにものを言う」
は、単なる標語やことわざではなかったんですね。

あー楽しかった。





2016年11月6日日曜日

いかに子供を「他人ごと」とするか


子供のピアノ発表会がありました。
本人よりも親のほうが緊張する、そんな経験、あるのではないでしょうか。

私も例によって当日ガチガチに緊張しましてね(4回目なのに)。

「直前までミスが多かったあの箇所、大丈夫かな」
「練習が足りなかったかも知れない」
「途中で真っ白になっちゃったら!?」

などと心配し、本人はまったく気にせず隣で唐揚げなどをモリモリやっているのにもかかわらず、親の私がお茶しか喉を通らなかったりするのです。

こういう状態を、心理学的に「課題の分離ができていない」状態なのだそうです。

本来であれば、本番がうまくいくかどうか心配すべきなのは本人であって、親の課題ではありません。しかし親は子供のことを考えるあまり、子供の問題を自分の問題ととらえてしまうことがあります。

自分の課題ではないのに子供の課題を自分のものとしてしまうと、

・ 子供に余計な口出しをする
・ 「あなたが心配だから」と信頼を損なうようなことを言う
・ 先回りして子供の自主性をそいでしまう
・ 焦りから叱りつけてしまう

など、よくない結果を招きがちです。

親はまず自分の子供が他人であることを認識しなくてはいけません
他人だからほったらかしていいということではなく、親は親としての課題に取り組めばいいのであって、子供の立場になりきる必要はありません。

子供の進路について、つい口出しをしてしまう人も多いのではないでしょうか。もちろん親としての意見や得られる情報は共有した方が良いでしょうが、進路は本来自分で決めるべきことです。「子供のためを思って」といいながら、実は自分の安心のため、しかし親の安心が子の幸せになるとは限らず、大事な決断を自分でして責任を取るという、人生において重要な経験を奪ってしまうことになります。

どんな結果になっても、「他人ごと」。
そう考えることによってはじめて、子供の意見や決断を尊重できるようになります。

そんなことを言っているのが、心理学者のアドラーさんです。



一見冷たいようですが、確かにそうだなと思います。
「親子なんだから」「私のお腹にいたんだから」と子供を自己と一体化するということは、思いやりであるようで実は子供をひとりの人間と認めていないということになります。

子供は、他人。
子離れはそこからスタートするのですね。
さて、私は、あなたは、スタート地点に立っているのでしょうか?




2016年10月8日土曜日

AIが進化したら人間にしかできない職業は何か

「AI(人工知能)がどんどん進化して何でもできるようになったら、人間にしかできない職業として最後に何が残るだろう?」という話を先日知人としましてね。

だって手を動かす仕事だけじゃなくて、最近は金融や販売など頭を働かす仕事も次々にAIにとってかわられていて、人間じゃなきゃできない仕事って限られてくるじゃないですか。

だから最後に残るのは何だろう?ってね。
その場の結論としては、

・ 水商売
・ 売春

のどちらかだろうということになりました。

特に売春は人類最初の職業と言われるだけに説得力ありますが、このあたりは男性に意見を聞かないと何とも言えません。

一緒に酒飲んで気の利いたトークをするのと、肌を重ねて性欲処理するのと、生身の人間でないとダメなのはどっちなんですか?そこんとこぶっちゃけ男性陣に聞きたい。


引用:ダイヤモンドオンライン
AIは近年目覚ましい進化を遂げて、今後10~20年で47%の仕事が機械に取って代わられると言われています。

ダイヤモンドオンラインの調べによると、今後機械に仕事を奪われる仕事のトップは、「小売店販売員」、2位が「会計士」なのだそうです。

販売員や営業マンに影響が及ぶのは大きいですよね。なんせ就業人口が多い。みんなペッパーみたいなのに変わるのかな?それとも店頭そのものがなくなるのかしら。

気になるのが会計士さんですよ。たしかに会計ソフトはかなり高度化してきてるらしいですが、あんな難しい試験に受かって仕事がなくなるとか・・・会計士さん元気出して!

運転手も自動運転車が実用化段階に来ていることを考えたら、まったく絵空事とは言えないですよね。



それにしてもいつも疑問なのは、人間の代わりに働いてくれる機械が増えてきているのに、働かずに暮らせる人間が増えないのはナゼだろう?ということ。

だってかつて人間の労働によって生み出されていた富を、機械やAIが生んでくれるんでしょう?それを人間に分配すれば働かずに暮らせるはずじゃないですか。どこにいっちゃったんでしょう、機械が生み出した富。

洗濯機や掃除機などの家電が増えても家事はちっとも楽になっていない現象と、何やら似ている気がします。


2016年9月16日金曜日

「お金で幸せになれるんですか?」と言われたら

お金は大事ですよ、という話をすると、必ず

「お金があったら幸せになれるんですか?」

というめんどくさいことを聞いてくる人がいます。

いや、正確には聞いてきたんじゃないですね。断定してるんです。お金で幸福は買えないと。

あったり前やん!しょーもないこと言うな!

で終わりにしたいところですが、あまりにも同様の考えをする人が多いので、なぜ「お金では幸せになれない」論がなぜバカバカしいかについて書いてみたいと思います。



お金っていうのはですね、現代社会で生きていくために絶対に必要なものなんですよ。自給自足と物々交換で成り立っていた時代とは違って、いまでは衣食住、移動、子育て、人付き合い、働くことにさえお金がかかります。

それは別に悪いことではなくて、高度に発達した文明社会で、便利にスピーディにモノやサービスを交換するために、誰が相手でも信頼して交易をする手段としてお金があるのです。

だって、本来誰が作ったか分からないパンなんて口にしないでしょ?でも買ってきたパンを何の違和感なく食べることができるのは、お金が信頼できるものとして仲介してくれているからです。

このように、お金は私たちにとってもはや「なくてはならないもの」です。


「なくてはならないもの」 と 「自分を満たすもの」 。
これって全然違う話だと思いませんか?

たとえばお金の他になくてはならないものには、「水」がありますよね。
「水が十分にあったら幸せになれるんですか!?」
なんて真顔で聞いてくる人がいたらちょっと引きますよね。

同様に、
「空気があったら幸せになれるんですか!?」
「栄養があったら幸せになれるんですか!?」
「血液があったら幸せになれるんですか!?」

こんなの盛り上がった飲み会の席で言おうもんなら全員ドン引きでつまみ出されますよ。



お金は生きていくために必要なものであって、幸福を満たすためのものではありません。
幸福を満たすものはひとそれぞれ違って、どうやったら自分が幸せになれるかなんて各自で考えてください。

関係のない話を持ち込んでお金を役に立たないみたいに言うなんて、お金にしてみたらとんだとばっちりです。

八つ当たり、イクナイ。

2016年8月12日金曜日

【へたうま】遊び食べ

子供がお行儀よくご飯を食べるようになるのって、けっこう時間がかかるじゃないですか。

離乳食が終わって刻み食、手づかみ食べ、スプーンや箸の練習の間は、「7割口に入ればヨシ」というくらいこぼすじゃないですか。

それ以上に悩ましいのは、「遊び食べ」ですよね。食べ物で遊ぶなという道徳観が通用する年齢ではなく、ダイニングは汚されるし本人もものすごい汚れるし。

うちの3人は遊び食べがすごくて、それもちょっと斜め上。


長女のときは「フリスビー」。

投げる。皿を、投げやがる。
それもすごくうまくて、美しい放物線を描きながら14畳のリビングの端から端まで飛ぶ。
乗っているおかずもろとも(泣)
机に吸盤で固定するタイプのお皿とか買ってみたけどムダ。馬力が違うの。

次女のときは「シャンプー」。
塗る。米を、頭に、塗りやがる。
米をいい感じになるまで手の中でこねて粘りを出し、それを髪にしゃかしゃか塗りたくる。
これが髪の毛1本1本にコーティングされ、本物のシャンプーをしてもなかなか取れない(泣)


で、長男がいま遊び食べまっさかり。
こいつはどっちほうこうに斜め上なのかと観察していると・・・





3人目は、「打ち水」でした。
手首のスナップがね、すばらしいのですよ。。


2016年8月10日水曜日

産後ガルガル期を乗り切る方法

出産後の女性が、以前と違ってやたらとイライラしたり攻撃的になる時期ことを、「産後ガルガル期」と呼ぶそうです。

原因にはホルモンバランスの変化や身体的な疲れ、育児への不安、パートナーへの不満などさまざまものがあげられていますが、まあ人ひとり産んだんだからそのくらいの変化は特段おかしくはないわなーと思います。

しかし、産後ガルガルは、産後クライシスの原因にもなるといいます。

妻はイライラをもてあまし、夫は扱いに困る。そんなことが長く続けば、夫婦仲が悪くなることも不思議ではありません。なんとかこのガルガル期を乗り切る方法はないのでしょうか?

問題は、「変化が急であること」ですよね。

もともとおおらかな性格だった妻が急に細かいことにもキレるようになったら、誰でもうろたえてしまいます。産後は多少の精神的不安定さは仕方がないとして、「どうやって変化を少なめにおさえるか」が重要になってきます。

とはいえ、出産後の自分を出産前に合わすのは不可能です。産後はいろいろと大変です。では、出産前を出産後に合わせたらどうでしょうか?つまり、出産後にガルガルしているなら、出産前からガルガルしていればいいのです。





出産後も出産前と変化がないという安心感がありますね。

というわけで、産後の急激な夫婦不仲を避けるために、女性の皆様におかれましては、妊娠前から不機嫌でいていただくのが最良の策かと存じます。

(そのせいで出産前に破局しても、当ブログは一切の責任を負いません)



2016年7月24日日曜日

絵本の読み聞かせは子供の学力を上げるか

絵本じゃなくて新聞ですが

「絵本をたくさん読み聞かせると子供の学力が上がる」

なんて調査結果が出ると、絵本をラグビーのように小脇に抱えて我が子に突進していく親たちの姿が目に浮かぶようです。

一緒に楽しく読めるならとてもすばらしいことですが、当然ながら途中で脱走したり馬耳東風になったりする子もいるわけで、親がよかれと思って読み聞かせをしようとしているのに思い通りにいかないことでイライラして子供をしかりつ険悪になって後で大後悔、という結果にならないか余計な心配が尽きないテーマではあります。


とはいえ、私も人並みに子供に絵本を読み聞かせようとしてきた親でした。そのおかげかどうかは分かりませんが、二人の娘は毎日自分で絵本を選んで読む習慣があります。でも、それまではとっても大変だったんです。何が大変だったかと言うと・・・


①読む側の演技力が圧倒的に足りない

小さい子の読む絵本は、基本的に夢にあふれたメルヘンものが多いわけです。しかし私は声のトーンが暗く、夜の経済ニュースのキャスターよりもテンションが低い。しかもメルヘンとか大の苦手。ディズニーランドの良さがいまだに分からない。

「りんごりんごりんご♪りーんーごーがーころがった♪」

みたいなくだりを、終わらない円高への不安を訴えるような口調で読んでいました。

そんな私が、子供が喜ぶように絵本を読み聞かせるなんて、その辺の親がやるのとは段違いにハードルが高いのです。親にだって、スキルの格差があります。


②子供がだまって読み聞かせられるタマじゃない

幸い絵本の興味のある子でしたが、何しろ長女は「天才」、次女は「天然」、だまって人が本を読むのをフムフム聞くタイプではありませんでした。

読む場所を指定、読み方も指図、質問攻め、前回と読み方が違うと怒る、しまいには母から絵本を取り上げ、自分で読み聞かせをするようになりました。読み聞かせられるの、私かい!

一時期、『はらぺこあおむし』と『ぐりとぐら』が夢に出てきてうなされるくらい、読んでくれました。主体性のある子に育ってくれて、かーちゃん幸せ(でも血の涙)。



本当に読み聞かせは学力向上に効果がある?

で、肝心の学力向上への効果ですが、まあ、あるんでしょうね。
読み聞かせに積極的だった家の子供は学力が高いことが分かっています。
(この統計分析がくわしいです↓)


全国学力・学習状況調査からの示唆

しかし、絵本を読み書かせたから学力が向上したのか、絵本を読み聞かせるようなタイプの親だったから学力が向上したのか、それだけの精神的・時間的・経済的余裕のある家庭だったからなのか、実は単にDNAの問題でしたーアハハーということなのか、けっきょくはよく分からないというのが実情のようです。


絵本は子供の頭をよくする。
結構じゃないですか。
どんどんやったらいいじゃないですか。

しかし、上の論文の著者も指摘しているように、そのために親(特に母親)にだけプレッシャーを与えるだけでは何も解決しません。

親が忙しくても、絵本が苦手でも、子供が平等に読み聞かせに触れられる機会がある社会であることが重要です。現在でも、幼稚園や保育園、図書館、子育てセンターなどで読み聞かせ会などはよくやってくれていると思います。

しかし、「親が動かないと始まらない」ことに変わりはなく、どうやったら子供が分けへだてなくその機会を得られるのか、これは実に難しい問題です。


図書館で、聞く態度が悪いと子供をたたいていた読み聞かせのお母さんを見かけたことがあります。子供は泣いていました。あんなのもう見たくない。


修行(?)の成果もあって、いまの私はノリノリで絵本を読むスキルが身につきました。

りーんーごーがころがった♪コロコロコロコロゴロリンひゃっほー!

絵本を読むのが苦痛なお母さんに代わって、読んであげてもいいとさえ思う。


2016年7月16日土曜日

【へたうま】大きい子あるある

①服が常につんつるてん



 ②初めての靴(ファーストシューズ)が赤ちゃん用ではない




③大人が普通に話しかけてくる




④友人があま抱っこしてくれない



⑤すぐ見つけられる



デカ3人目ともなれば、初対面の人に「何才?え!?大きいですねぇー!!」
と驚かれることにも驚かなくなった。

子供の同級生のママに「○○ちゃんって何年生まれ?」と聞かれて
同じに決まってんだろ同級生なんだからと思うことももはや定例。

大きいからには将来は大きさを活かしてスポーツなりモデルなりしてほしいところだけど、
デカくてニートとかになったら邪魔でしょーがないなー。




2016年6月30日木曜日

【へたうま】スリーヒントクイズ

娘たちは昔からクイズが好きで、
小学生になった今でも続いている。

一時期こっちがノイローゼになるくらい出題をさせられていたが、
4歳と2歳の時は子供が問題を出す側になるブームがやってきた。


小さい子が問題を考えるのってけっこう難しいと思うんだけど、
長女の4歳はとっても上手。
ヒントを3つ出して答えてもらうスリーヒントクイズに挑戦。





うーん、ヒントの選択といい順番といい、
4歳児にしては上出来ではないでしょうか。

そこで、天然の妹が登場。
「姉にできるものが私にできないわけがない」と根拠なく信じる2歳は、何のためらいもなく出題に挑戦。








ちょ・・・!
ヒントがモロな上に、数がスリーじゃねぇ!





しかも、答えは「ぞう」。


2016年6月27日月曜日

知識があっても熱性けいれんはビビる



息子1歳が入院していました。

溶連菌感染症の発熱にともなう熱性けいれんでした。


夜11時頃に「ちょっと熱っぽいかな?」と思ったけど、そのくらいの発熱はよくあることだし、冷やすほどでもないのでそのまま寝ることに。

朝方4時、突然手足をビーンとつっぱり、目をむいてビリビリけいれんする1歳。さわってみるとすごい熱。とっさに「熱性けいれんだ!」と思いました。

熱性けいれんについては以前なにかで調べたことがあるのであわてることはないとは知っていました。

知っていたのですが・・・あれはビビる!

とりあえずけいれんの時間をはからなければと携帯のストップウォッチをみるのですが、あの3分が長いのなんのって。

その後はりつめたけいれんはおさまったものの、呼びかけに反応はなく、まだ手が引きつけられている状態。

とにかく病院、でもめっちゃ夜中、救急車が必要なほどかどうかは分からない。

そんな時は♯8000にかければ相談に乗ってもらえると母子手帳に書いてあったので電話。

熱性けいれんはおさまれば心配ないが、初めての場合はやはり受診したほうがよい、小児科が当直している最寄りの夜間診療所はここ、と丁寧に教えてもらいました。


夫の鬼速な運転で病院へ。その間、息子は意識はあるものの一点をみつめたまま反応がなく、その様子がまた不安をかきたてるわけで。泣いてくれたら安心なのに。


その後、別の病院で検査や入院を経て、1日で退院、2日で回復しました。短いようでしたが、1週間くらいの感じがしました。

発症翌日に自分の点滴の機械にいたずらして誤作動させたのをみて、「ああいつもの調子が戻ってきたー」とすごく安心しました。

熱性けいれんは親のアフターケアが必要なくらいショックが大きいものなのだそうです。熱性けいれんは大丈夫とたまたま知っていた私でもかなりビビったので、普通はもっと大変なんでしょう。

元に戻った時のホッとした感じ、たまらんですよねー。




2016年6月13日月曜日

【へたうま】大事なのは赤ちゃんの容れ物であって私ではないってか

ぼちぼち生まれてもおかしくない臨月の頃。

7歳と5歳のお姉ちゃん(当時)は、
いつもお腹の赤ちゃんを心配してくれるいいお姉ちゃんでした。




たとえ危なかったのがお腹じゃなかったとしても、
いつも赤ちゃんをいたわってくれます。




いつも赤ちゃんが心配なお姉ちゃんたち、本当に優しくて感心します。


で、お前ら
お母さんの心配はしないのか。


案の定、出産後に私が階段でコケようが足の小指を柱にぶつけようが、見向きもされませんでした。ふん。


よく妊娠中のママが
「夫が赤ちゃんの心配ばかりして私を一人の人間(女)としてみてくれてない!」
などと憤慨しているのを見聞きしましたが、ちょっとその気持ちが分かりました。


大事なのは赤ちゃんの容れ物であって私ではないんかーってね。



2016年6月12日日曜日

子供の誕生日はお別れのカウントダウン



長女が9歳になりました。
昨日から急に成長したわけでもないのに、やっぱり歳がひとつ違うと、ちょっと大人になったように見えるものです。子供の1年は、大人のよりも重みがありますね。


幼児期はいわゆる「育てにくい子」だった長女は、今や家族や先生、私の知らない近所の人からも厚く信頼されるしっかりさんに育ってくれたました。

子供の評判が良いと、親はついそれを自分の手柄にしてしまいがちですが、彼女の成長は彼女の努力によるものであり、私はただ無駄にキリキリ舞いをしていたに過ぎません。親の仕事は無駄にキリキリ舞うことです。

将来18歳で家を出るとすると、もう半分が過ぎてしまったことになります。密度を考えると3分の2、イヤそれ以上かも。わあ、なんてつまんないんでしょう。子供の誕生日は、いつか来る別れをカウントダウンしているようで、ちっとも嬉しくありません。なぜ、多くの親はあれほど手放しに喜べるのでしょうか。


子育てには愛情が欠かせません。しかし、愛情が深いほど、別れがつらくなります。子供の誕生日は、確実に別れが近づいていることを明確に、残酷に示すものです。それでも、私たちは心からおめでとうと言うのです。


2016年6月7日火曜日

ブログタイトルで決意表明


ブログを初めて10年になります(概算)。

書いているうちに書くことが好きになって、うっかりフリーライターになってしまいました。自分がこんなに活字好きとは、30歳近くなるまで気づきませんでした(遅)。

しかし最近ブログの更新が月数回にとどまっています。書きたいことがなくなってきたわけではありません。むしろ1日に3つくらいはテーマが頭に浮かびます。しかし、時間がないんです。

時間がないからブログを更新しないって、デキないビジネスマンの言い訳かよって言われそうですが、ホントに時間がないんです。あれば優先すべきことが別に30件くらいあるんです。子供の水着にゼッケンをつけるとか。

でも辞めてしまうのはもったいないじゃないですか。だから、短時間で、具体的には30分以内で書く、というルールを設定することにしました。それに伴い、ブログタイトルを変更しました。


今までは記事の内容が濃淡もボリュームもバラバラで、Twitterの延長みたいな日があれば、論文のように作りこんでいる日もありました。写真を貼ってコメントつけて5分記事と、調べてまとめてパワポで図表つけて2時間記事が混在している状態。

これだと書く方も読む方も姿勢が一貫しないので続きにくいですよね。だから30分。30分で書ける記事だけ書く。これでいこうと思いました。

自分の趣味とスキルアップのためのブログなので、特にこれで仕事を取りたいなどとは思っておりません。よってアクセス数を稼ぐための努力は皆無ですが、昔から続けて読んでくださる方がいるのは大変はげみになります。

今後とも、よろしくお願いいたします。

2016年6月6日月曜日

幼児期に育成すべき資質10項目


文部科学省が策定した2018年度改訂「幼稚園教育要領」には、幼児期の間に身につけるべき資質・能力として以下の10項目を挙げている。


・「健康な心と体」
・「自立心」
・「協同性」
・「道徳性・規範意識の芽生え」
・「社会生活との関わり」
・「思考力の芽生え」
・「自然との関わり・生命尊重」
・「数量・図形、文字等への関心・感覚」
・「言葉による伝え合い」
・「豊かな感性と表現」


えらいハードル高ぇな。

小さいうちからの教育が大事だからって、いくらなんでも盛りすぎ(笑)

こんな子供いたら逆にやだよ。っていうかまずこんな大人がいないし。成人の目標にすればいいじゃない。

しかもこれをとても高給取りとは言えない幼稚園教諭・保育士さんにやれと?予算だまず教育予算を確保しろ文科省。盛り盛りの目標を立てる前にするべき仕事はそれだよ文科省。

こういうのを真面目に策定されている方には申し訳ないけれど、雲の上の青い空を目指すような教育要領と、地面に寝転がってダダこねる子供と格闘する現場との乖離感がすごい。これが机上の空論か。

長すぎる説明を誰も読まないのと同じで、高すぎる目標は誰も目指さない。文科省をはじめとする省庁には、こういうことを策定したり研究したりする分科会が山ほどあるんだけど、それらに割かれたお金を人材を、現場にまわすことってできないのかなぁ。





2016年5月27日金曜日

小学校における習熟度別クラス分けの難題


当たり前のことですが、学習のスピードには個人差があります。

そのため、個々の学習スピードに合わせた授業をすべき、という意見があります。いわゆる「習熟度別クラス」です。

私個人の意見としては、習熟度別クラス分けによる授業には賛成です。

走るのが速い子に、「他の子がまだだからそこで足踏みでもしてて」と言うとやる気をなくしてしまうのと同様に、勉強が得意な子に他の子の都合で次のステップに行かせないというのは、とてももったいないことだと思います。

また、まだ定義や概念を理解していない段階の子に、ミスを減らしてスピードアップするための学習をさせるのは、自信をなくしてストレスを与えるだけの時間になってしまいます。

早いのが良い、遅いのが悪いという話ではなく、「いまどんな勉強方法をすべきか」に合わせた授業をすることが理想なのです。


娘が通う小学校は普通の公立なのですが、算数に限ってだけ3年生から習熟度別クラス分けを導入しています。「公立なのに進んでるなぁ」と感心していたのですが、実際に習熟度別クラスを学校がやるには、ひじょーーーにデリケートな問題があるようです。


まず、クラス名です。明らかにランクが分かるクラス名にできません。A-B-Cでも1-2-3でもバレバレだし、ましてや上-中-下なんていじめの原因になります。かと言って「ひまわり」「たんぽぽ」とかだと幼稚園みたいになってしまいます。その結果、「どんどん」「しっかり」「じっくり」という、どれもポジティブに聞こえるクラス名に落ち着いたようです。しかもクラスの違いの説明では、先生が「どれもやることは一緒よ」と強調しすぎたために、習熟度別になっていることすらあいまいになってしまいました。

また、習熟度別クラスでもっともやっかいなのが、クラス分け結果に対する親からのクレームです。どの親も自分の子が(実際よりも)できると思っているので、クラス分けの結果を見て保護者が「なんでウチの子が一番下のクラスなんだーー!!!」と怒鳴りこんでくるのは、もはや定番です。私立の進学高校でもそういうことがあるので、公立の小学校なんて言うまでもないって感じです。

それを避けるためか、娘の学校では本人にアンケートを取るという手法を取っています。「学校が勝手に決めたんじゃないんですよ。本人がゆっくりやりたいと言っているので」とワンクッションおけるようにしてあるのでしょう。ナイスアイデア。間違っても親にアンケートは取ってはいけません。みんな一番上のクラスを希望してしまいます。

しかし、

・ クラスの違いを明確にしない
・ クラス選択を子供本人の判断にゆだねる

といった手段を取ったために、子供が適切なクラスを選択できないという事態を招いてしまいました。うちの場合、

娘:「じっくりコースにしてきたよ」
母:「何で?テストは全部100点だったやん。どんどんコースじゃないの?」
娘:「でも1学期に1回だけ繰り上がり計算間違えたことあるし、算数苦手なの」
母:「1回だけで!?謙虚か!」
娘:「あと、じっくりコースは人が少なくて静かなんだって」
母:「そういう理由かい!!」


何事もメリットがあればデメリットがあります。習熟度別クラスのデメリットを薄めようとした結果、メリットも薄まってしまった事例です。

学校がはっきり言えない部分は、家で情報を補てんしてあげましょう。あれはね、レベルで分けてんの!人によって勉強の進み方が違うんだから、勉強方法も違うの!と。


個人の能力を追求すれば角が立つし、平等を追求すれば効率が下がる。
学校ってホント大変だなーと思いました。





2016年5月22日日曜日

【へたうま】セーフティグッズ

1歳を過ぎ、いおりんの破壊力がますますアップ。


さすがに台所に入られるとシャレにならなくなってきたので・・・

 台所の入り口にセーフティガード導入。

上の子の時のは処分しちゃってたので、新たに購入。
もったいないけど、3,000円くらいだし、安全には代えられない。

もう足であやしつつ料理しなくていいんだーとはりきっていると・・・



まさかの飛び道具。。


セーフティーグッズを使っても、我が家に安全などない(親にとって)。


2016年5月9日月曜日

習い事としての子供向けプログラミング


子供向けプログラミングの体験会に行ってきました。

ブロックでロボットを作り、ロボットの動きをプログラムで制御するというもの。子供用プログラミング言語「Scratch(スクラッチ)」の簡単バージョンみたいなやつです。

ふたりのプログラマーとしての資質を独断と偏見で観察してみたところ、あやに8歳はそれなりに成果は出ているのに完璧ではないためにイライラしてしまう「スペック上げ過ぎて自爆タイプ」で、さなさな7歳はプログラムで対応すべきことをブロックを増やしたり手作業で修正したりする「機械のバグを人間の運用で対応タイプ」でした。

プログラミングは子供の習い事として人気急上昇中らしく、論理的思考や問題解決能力が磨かれるのだとか。へー。そんでもって主体性や自信が身につくのだとか。ふーん。

何事もそうかもしれませんが、プログラミングで達成感や醍醐味を感じるようになるにはかなりの時間と胆力が必要です。それができる子には楽しい習い事になるでしょうが、そうでない子には単なる苦行です。少なくとも3時間はレゴやラキューに集中して取り組んでイメージどおりの物が作れる子じゃないと難しいでしょう。

あと月2回で月謝1万円超えるのは私の金銭感覚的にムリかな。職業訓練じゃないんだし。

体験としては楽しかったです。親に手伝ってもらう(というか手出しされる)子が多い中で、ふたりとも最後まで自分の力でやり遂げました。でも本人たちはペッパーと遊べたことの方が有意義だったみたい。うん、今は全然それでいいよ。


2016年4月28日木曜日

報酬型おこづかい制って実際どうなの?


子供のおこづかいを、「お手伝いをしたらいくら」とする方法がありますよね。

洗濯物たたみ10円、お皿洗い20円・・・
小学2年生くらいだと1お手伝い30円くらいが相場のようですね。
スタンプ制にしているご家庭も多いのだとか。


うちも取り入れてたことがあるのですが、早々にやめました。


なぜなら、

価格交渉がいちいちうぜぇ

のと、

お金にならないお手伝いをしなくなった


という理由からです。


たしかに、お昼ご飯の皿洗いと晩ご飯の皿洗いでは量が違うので、同じ報酬というのは納得できないという気持ちは分かります。でも、だからって、「じゃあお皿1枚1円にしようよ!あ、でも小皿とどんぶりじゃ大変さが違うよね。あと、お茶飲んだだけのコップとソースべっちょりの大皿もぜんぜん違うし~」とか言いだされた日にゃ、「もうええわ!」ってなるじゃないですか。


あと、おこづかい制を導入したことによって、お手伝いを出し渋るようになりました。昔はお手伝いも遊びのひとつみたいなものだったようで、頼まなくても「それやりたい!」と言ってくれたのですが、導入後は「ごめんアレ取ってきてくれる?」「いくらで?」と返ってくるようになって、もうこっちも手伝いを頼むよりも自分でやったほうがいいモード全開になるわけです。


やったら上手なのになかなかやってくれないし、いちいち交渉してくるし、何より家族が困ってても報酬がなければ動かないという考え方は良くないということで、我が家のラオウ・夫のオヤビンの「うぬら、家のことは黙って手伝え」とのひと声で、おこづかい制は廃止となりました。

今は、お金は必要な時に必要なだけ渡すようにしています。


何事にもメリット・デメリットがあるように、報酬型おこづかい制も一長一短です。

<メリット>
 ・ 労働で対価を得ることの充実感を得られる
 ・ お手伝いに積極的になる
 ・ 金銭感覚が身につく
 ・ 家事などの生活スキルがアップする
 ・ 自分で自由に使えるお金を持てる
 
<デメリット>
 ・ 報酬がないお手伝いに消極的になる
 ・ お手伝いの動機が「思いやり」ではなく「自己利益」になる
 ・ ルール設定や金額集計がめんどくさい


親が設定したルールに従い、素直に報酬をよろこぶような素直な子にはとても有効です。

しかし、ルール設定段階から参加・交渉したがり、自分が一方的に不利にならないように知恵を働かせるようなタイプの子の場合、親がお手伝いをしてもらうための負荷が重くなります。教育的意味合いがあるとはいえ、日々のことで無理をする必要はないので、子供がある程度大きくなって、ほどよい要求と妥協ができるようになってからでもいいでしょう。


ちなみに、これは報酬型おこづかい制でうまくいかなかったウチの子はダメ、という話ではありません。むしろ喜ばしいと思っています。

他人が勝手に決めたルールに何の疑問もなくのっかるというのは、親としては楽かもしれませんが、私の望むところではありません。自分が損をせず、相手の要求も満たす方法はないか模索できる人間になってほしいです。


もうちょっとしたら、報酬型おこづかい制も復活しようかと考えています。
その時は、カワイイがま口の財布か、おもしろい貯金箱でも買ってあげよう。