2015年10月21日水曜日

【へたうま】引き出しあるある

いお9か月。つかまり立ちまっさかり。










右と左の動作がまだ連動していない年頃なのかなぁ。 

○お姉ちゃんたちが同じくらいの月齢だった頃の過去ログ 
 レゴの滝 
 ポイポイ期


2015年10月7日水曜日

組体操のピラミッド、上は怖いが下もツライ

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娘2人の通う小学校で運動会がありました。

 50m走で燃え、ダンスで萌え、バカ親って楽しいですね。

 6年生の組体操は、事故のニュースの直後でも大変人気がありました。
 (組み体操:大阪府八尾市小中学校 事故で12人骨折) 

10段はさすがにやりませんでしたが、6段か7段に挑戦して成功し、大喝采でした。それ以外の技でも、ピシッとポーズが決まるたびに大きな拍手が起こり、感動のあまり涙ぐんでいる保護者たちがたくさんいるのを見ると、「危険だと言われていても、組体操が運動会からなくなることはないんだろうなー」 と思いました。

問題になった学校で、ケガ人が続出したのにもかかわらず高層ピラミッドを続行した理由として、校長が「感動や充実感を味あわせてあげたかった」と答えています。 さて、感動や充実感を味わうのは、いったい誰でしょうか?もちろん本人たちも感じることがあるでしょうが、やっぱりあれは見る側のものでしょう。マスゲームは見ていると面白いですが、やるのは大変なわりには退屈なのです。

       ◇ 

私は組体操ではいつも「土台組」でした。ピラミッドはもちろん、タワーでもサボテンでも土台。小さいのが上で大きいのが下というのは分かるが、身長で土台順を決められるので、自分よりも背は低いが体重は重いやつを乗せなくてはならないという理不尽が発生することも。

ピラミッドで一番イヤだったのが、「下から2段目」です。最下段も膝に小石がめり込んで痛くてイヤですが、2番目のつらさはまた別です。何十キロ、何百キロにもなる重みが自分の肩から手の平に伝わり、 それがそのまま下の子の背中を押すのです。「いたい!いたい!」と下の子が泣いても、手を放すわけにはいきません。 私の上にはさらに6人の子が乗っているのです。放すと彼女たちが危ない。 自分の手が友達の体を壊してしまうかもしれない―。あの時の彼女の体操服の感触は、今でも手に残っています。それでも、笛が鳴ると全員で顔を上げ、笑顔を作らなくてはなりません。あれは一体何だったんでしょうか。

       ◇ 

でも、当時の私が組体操を嫌いだったかと言うと、そうではなかったので不思議です。やっぱり大変さを味わうと妙な達成感を得てしまうものなのでしょうか。

子供は良くも悪くも素直なので、高いピラミッドがすごいと言われればそうだと思うでしょうし、保護者の中にはまだまだ組体操が感動の定番という人も多いでしょうから、やっぱり行き過ぎによるリスクの管理は学校側がすべきなのでは、と思います。

ピラミッドがいけないとは思いませんし、リスクがあるのが悪いとも思いませんが、リスクに伴う安全管理をきちんとできたかどうかがポイントでしょう。4段も10段も教師側の対応は同じで、あとは生徒の努力と根性、というのでは問題ありますよね。

娘2人が6年生の組体操に感動したらしく、「私もやりたい!」と言っていました。 残念、君たちは土台だ確定だ。


2015年10月3日土曜日

出生前診断の「誤診」をどうとらえるか


診断結果は「正常」、生まれた子供は「ダウン症」で賠償金1000万円

出生前診断で「正常」と言われたから安心して産んだら重度のダウン症でたった3か月で亡くなってしまい、診断をした医師を訴えたというなんともやりきれない裁判の判決が出ました。


私が出生前診断を受けた時は、「あくまでも生まれる前に分かる範囲で下す診断であり、健康な子供が生まれることを保証するものではありません」と、100回くらい念押しされました。(参考:出生前診断を受けました

もし、診断をした医師が「絶対大丈夫!ダウン症の心配はまったくないですよ!」と告げていたなら問題あると思います。おまけに診断方法もマズかったらしく、裁判でも告知ミスが認められています。

しかし、どんな診断にも100%はないので、きちんとした検査で「正常」と出ても、障害がある子供が生まれることがあります。そんな時、裁判を起こす側は、医師の何の罪に対して訴えを起こしたらいいんでしょうね?

だって、子供が死んだのは医療ミスじゃないんです。

先天的にあった障害が原因なんです。

誤診かどうかも微妙です。本人(赤ちゃん)を診察したわけではないですから。

しかも、正しく診断されたとしても、治療することはできないのです。


今回の訴えでは、「選択の機会が奪われた」ことが重視されました。


「選択」とはつまり、産むか産まないか、という選択です。障害があるとわかっていたら、中絶する選択肢もあったのに、ということです。

しかし、これで医師の罪を問おうとすると、原告側に深刻な矛盾がうまれます。死んでしまった子供がかわいそう、命を何だと思っているの、などと訴えようものなら、「いやいや何言ってんの、アンタその子を殺そうとしてたんだよね?」とツッコまれてしまいます。裁判でとう扱われるかはともかく、自分自身がその矛盾にどう向き合えばいいのか、私には分からないです。


高齢出産が増え、これからは出生前診断を受ける人が増えていくでしょう。
するとこういった裁判も増えていくのでしょうか。

訴える方がモンスターなどと言うのは簡単ですが、やっと念願の妊娠をし、自費負担で出生前診断をし、「正常」の結果に安心して産んでみたら呼吸もままならない重度の障害で、一度も抱くこともできず苦しむところを見ただけで死んだ、なんてことになった時、どれだけの人が「ま、しゃーないわ」と割り切ることができるでしょうか。


技術の進歩で制度がどんどん上がっていく出生前診断ですが、「陰性」と出て健康な子供が生まれること以外、ハッピーエンドを想像することは難しく感じます。