2015年5月21日木曜日

たくさん子供がいれば誰かが不幸になる現実



そこに30人の子供がいるとすると、
そのうち何人が将来幸せになって、
何人が不幸になるのでしょう?


たくさんの子供が楽しそうに遊ぶ風景をみると、どうしてもそんなことを考えてしまいます。


子供がたくさんいるってことは、いろんな未来があるってこと。
未来には、幸福な未来あれば、不幸な未来もある。


みんながハッピーになるなんてことはどうしたってあり得ないのだから、
まとまった人数の子供がそこにいるということは、
その中に将来とてつもなくひどい目にある子も絶対に含まれるということです。



悲惨ないじめにあったり、事故で大けがをしたり、誰とも仲良くできなかったり、ひどく困窮したり、パートナーから暴力を受けたり、薬が手放せないほど心が不安定になったりするかも知れない。周囲から虐げられ、何もしてもうまくいかず、生まれてきたことに何の価値も見いだせないまま、最悪の場合死んじゃったりもするのだ。

どんなに親ががんばっても、この世は誰もが幸福に生きていけるようにはできていなくて、ホントこればっかりはどうしようもない。


たくさんの子供の面倒を見ている先生や保育士さんは、怖くなったりすることがないのだろうか?
自分が世話をした子供の中には必ず不幸になる子がいるってこと。

どうして子供を持つ母親は自分の子供の幸せをああも無条件に信じていられるのだろうか?
自分の子供にかぎって不幸にならない保証なんてどこにもないのに。


私はずっと子供を持つことに強い抵抗があったのだが、いま思えばこういう理由だったのだと思う。
まあ3人も産んどいて今さら何だって話ですが。






2015年5月12日火曜日

譲ってもらった席には座ることにした




4月に3か月児を連れて東京に行った時の話。

昔ちょっと住んでたこともあるし、子連れで行くのもはじめてではない。
あいかわらずアホみたいに人が多い、アホみたいな街だ。
きっと住んでいるのもアホばっかりに違いない。


東京で子連れの電車移動したというと、

「みんな冷たかったんじゃない?」
「席ゆずってもらえた?」
「泣いたらにらまれなかった?」

と心配される。


ところが、抱っこひもで移動する私に、みんなフツーに親切だった。

席は譲ってもらえるし、
赤ちゃんはあやしてもらえるし、
重い荷物をはこんでくれた人もいた。

東京は子連れに冷たいというのは、地方発の都市伝説ではなかろうか。


で、電車で席を譲られる話だが。

私はいつも電車で座らない。
子連れだろうが子連れじゃなかろうが、昔から座る習慣がない。
普段は車生活だし、たまに乗るときもよほどガラガラで立っていると不自然というくらいじゃないと座らない。
足腰強いからあんまり疲れないし、真横に他人がいるところで座るのがイヤなんだ。
あと、立ってゆれている方が赤ちゃんが泣かなくていいという理由もある。

しかし抱っこの赤ちゃん連れだとさすがに目立つのか、いろんなひとがどうぞどうぞと席をゆずってくれる。
そこで「イヤ、いいです」と断ると、その人は「あ、そうすか・・・」と自分の席にもどることになる。

いかにも気まずそうだ。
親切にしてくれた人に気を使わせてどうする。

中にはすごすごと座りなおすのが嫌なのか、そのまま立っている人もいる。
すると席がひとつ開くのだが、近くに子連れがいるせいか誰も座らない。
不自然に空いたままの席が、妙な存在感をはなちながらそこにある。
これまた気まずい。


これはいかん、とおもった。


私が断ったばかりに、その人は「せっかく子連れに席を譲ろうとおもったのに、こんな気まずい思いをするくらいなら、いっそ寝たふりでもして二度とゆずったりするもんか!」と心に決めてしまうかもしれない。

もしくは、

私が座らなかったせいで空きっぱなしの席を見て、「私(俺)だって座りたいのに子連れが近くにいるせいで座れないじゃないか!子連れムカつく!」と思う人がでてくるかもしれない。

そんな人が1人、また1人と増えていくと、ますます子連れに優しい人が減って、他の子連れの人達に迷惑をかけてしまう・・・!


というわけで、これからは席を譲られたら座ろうと思う。
ステキな笑顔でありがとうと言って、譲ってくれた人がやってよかったと思う、見ている人も気分がいいような風景を作ろうと思う。

ぶっちゃけ立っていた方が居心地がいいんだけど、そんなことはおくびにもださず、赤ちゃんは泣かないよう貧乏ゆすりでもしてこっそりあやし、圧迫感のある座席に快適そうに座っているふりをしようと思う。

そうすれば子連れに優しい社会になるはず。
他の座りたい子連れの人たちのために、あたし、がんばる!