2016年11月6日日曜日
いかに子供を「他人ごと」とするか
子供のピアノ発表会がありました。
本人よりも親のほうが緊張する、そんな経験、あるのではないでしょうか。
私も例によって当日ガチガチに緊張しましてね(4回目なのに)。
「直前までミスが多かったあの箇所、大丈夫かな」
「練習が足りなかったかも知れない」
「途中で真っ白になっちゃったら!?」
などと心配し、本人はまったく気にせず隣で唐揚げなどをモリモリやっているのにもかかわらず、親の私がお茶しか喉を通らなかったりするのです。
こういう状態を、心理学的に「課題の分離ができていない」状態なのだそうです。
本来であれば、本番がうまくいくかどうか心配すべきなのは本人であって、親の課題ではありません。しかし親は子供のことを考えるあまり、子供の問題を自分の問題ととらえてしまうことがあります。
自分の課題ではないのに子供の課題を自分のものとしてしまうと、
・ 子供に余計な口出しをする
・ 「あなたが心配だから」と信頼を損なうようなことを言う
・ 先回りして子供の自主性をそいでしまう
・ 焦りから叱りつけてしまう
など、よくない結果を招きがちです。
親はまず自分の子供が他人であることを認識しなくてはいけません。
他人だからほったらかしていいということではなく、親は親としての課題に取り組めばいいのであって、子供の立場になりきる必要はありません。
子供の進路について、つい口出しをしてしまう人も多いのではないでしょうか。もちろん親としての意見や得られる情報は共有した方が良いでしょうが、進路は本来自分で決めるべきことです。「子供のためを思って」といいながら、実は自分の安心のため、しかし親の安心が子の幸せになるとは限らず、大事な決断を自分でして責任を取るという、人生において重要な経験を奪ってしまうことになります。
どんな結果になっても、「他人ごと」。
そう考えることによってはじめて、子供の意見や決断を尊重できるようになります。
そんなことを言っているのが、心理学者のアドラーさんです。
一見冷たいようですが、確かにそうだなと思います。
「親子なんだから」「私のお腹にいたんだから」と子供を自己と一体化するということは、思いやりであるようで実は子供をひとりの人間と認めていないということになります。
子供は、他人。
子離れはそこからスタートするのですね。
さて、私は、あなたは、スタート地点に立っているのでしょうか?
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