2016年11月23日水曜日

【へたうま】ケチなのか太っ腹なのか

あやに9歳はケチである。
どのくらいケチかというと・・・



しかしこれがお金のことになると・・・



なんという太っ腹。

うちは定額のおこづかいはなくて、
すべて家庭内アルバイトで稼ぐ方針(ただし時給はけっこういい)。

皿洗いやゴミ捨てで稼いだ200円はけっこうな大金のはず。
それを妹にさらっと渡す。ジュース1ミリでもゆずらない姉が。

お金の計算ができない子だとは思えないので、
ケチなのか太っ腹なのかまだ判断つかず。




2016年11月17日木曜日

育児にとって害悪なのはスマホではなくて「正論」

日本小児科医会が、読売新聞で「スマホ子守やめて」と啓発記事を載せたことが話題になっています。なぜかリンクは削除されているので以下引用。
”日本小児科医会の内海裕美常任理事は「乳幼児期は脳や体が発達する大切な時期。子供がぐずるとスマホを与えて静かにさせる親がよくいるが、乳幼児にスマホを見せていては、親が子供の反応を見ながらあやす心の交流が減ってしまう」と指摘する。また、画面をなぞるだけの仮想体験を重ねることが、手の機能や五感を育むことに影響を与えかねないと心配する。
子供をあやすためにでんでん太鼓を与えることとスマホを与えることと何が違うんだろうという疑問はさておき、何事もやりすぎはよくないので、スマホも状況を見て適度に使えばいいし、絶対にダメと言い切るほどには悪影響の内容は明らかになっていません。

心配しなくてもほとんどの母親はほどよく活用しているし、子供との交流や五感の発達に気を配っています。たまたま一時的にスマホを使っている母親を見かけたからといって、今どきの母親はと憤る必要もないし、子供の将来も日本の未来も憂いる必要はありません。

大丈夫、ママたちはあなたたちよりもしっかりしています。


小児科学会がなぜこのような啓発をおこなったかは分かりませんが、「正論」であることは間違いありません。学会が正論吐くのはいいとして、このような「正論」にのっかかって子育て中の親をむやみに叩こうとする人が出てくるのは困ったものです。


スマホに限らず、育児とはこうあるべきだと「正論」をふりかざす人はいつの時代にもいます。

そういう人は子育てをやったことがないか、たまたま育てやすい子だったおかげでうまくいった経験者であって、いずれにしても実際にタフな子育てをするにあたっては参考にするに値しないご意見しか持っておられない方々なので、イタズラをした子供を見つめるがごとく「しょーがないわね」でスルーするのが正しい対応かと思います。


母親と子供がほほえましく交流している図を見たい人って、どうしてこんなに多いんでしょうね?
(↓こういうやつね)








しかも決まって母親ですよね。母性と自己犠牲により子供に注がれる「無償の愛」?どうしたの?あなたの母親からの愛情が足りなかったの?それとも優しいママンがなつかしいの?だからみんなにもそうして欲しいの?郷愁でしょうか、いいえマザコンです。


「子育てとはこうあるべき!」言われる内容は、「正論」っぽく聞こえます。ただし実効性はありません。それだけでなく、正解がないはずの育児にわざわざ正解を作って、そこから外れた人をダメ認定する「正論」の不寛容さは、間違いなく育児にとって害悪です。

スマホを使ってはいけない、ベビーカーではなく抱っこひもにしろ、いつもニコニコしろ絶対怒るな、手間をかけた手作りの食事を毎食用意すべき、自由にのびのびさせろ、イヤしつけと礼儀作法が先、母親は自分の楽しみをすべて犠牲にして子供に尽くすべき・・・。

よし、わかった、お前がやれ。


安全なところから正論を吐くのは気持ちがいいですが、子育てには役に立ちません。子育てにはまだまだ分からないことだらけですが、これだけは断言できます。正論は不要!

私たちは本当の育児で忙しいので、机上の育児はよそでやっていただきたい。


2016年11月13日日曜日

赤ちゃんの理解力をナメてはいけない

ある大学の大学院に、認知発達に関する研究に協力するため、1歳の息子を連れていきました。
人の目線や表情から、赤ちゃんが何を理解しているかをみる実験です。

めたくそ面白かったです。
みなさん、子供が小さいからと言って甘くみてはいけません。この子たちは、まだ言葉も話せないうちから、すべてのことを理解しています。


実験では、子どもに特殊なセンサーを付け、映像を見ながら目線と顔の筋肉がどのような動きをするのかモニターしました。映像には目の前におもちゃが置かれた女性が映し出されます。女性の目線はおもちゃにそそがれ、やがておもちゃを手にしてうれしそうな顔をします。

これにより子どもは女性がおもちゃを求めているんだということが分かります。

次に、おもちゃの前に目隠しが置かれます。女性からはおもちゃが見えないことを、子どもは理解します。「相手の立場に立って」考えられているということです。女性はおもちゃを探しますが、見えないことになっているので、見つけることができません。子どもは、困っている女性に、「そこだよ、そこだよ」と教えるようなしぐさをします。







この実験により、子どもはまだ言葉も話せないうちから以下のことをやってのけていることが分かります。

・ 相手の目線が何を指しているか理解する
・ 相手の求めていることを察知する
・ 楽しい、困っているなどの感情を見分ける


息子の目線はレーザーポインターのように映像に映し出されました。子どもは思いのほか相手の目をしっかり見ています。よくマナー講座なんかで「顔全体を見る」なんてアドバイスされますが、本能的にはバッチリ眼球を見るようになっています。

そして興味深いのは、多くの場合相手の右目を見ていることです。これは映像は主に右脳で処理されるため、自分から見て左側の情報を重視する傾向があるためです。視線を表す赤点がお姉さんの右目を指しまくっててちょっとこわかったです。


あと、テストで使われた映像には女性しか出てきませんでした。わけを聞くと、1~3歳くらいまでの子は男性をこわがったりいやがったりするので、目線や顔の筋肉の動きが正確に収集できないからだそうです。

小さい子が男の人を嫌い女の人を好むのはやっぱり統計的に正しいようです。こういうデータを見ると、「育児は女の仕事」てな意見には「うるせーバカ」と思っていた価値観が少し揺らいでしまいます。

子どもは相手の目線だけでなく、表情にも敏感です。相手が笑うと自分もつられて笑い、泣いていると顔がこわばります。感情を共有できることは「共感」であり、これは人同士が信頼関係を築くために不可欠なものです。1歳どころか数カ月の赤ちゃんでもこの能力はすでに備えています。


もちろん成長や正確には個人差があり、上記のような結果が出なかったとしても気にする必要はありません。ただ、一般的に人は人とうまくやるために特殊な能力を小さい頃から持っていることは確かです。

「人の目を見て話しましょう」
「目は口ほどにものを言う」
は、単なる標語やことわざではなかったんですね。

あー楽しかった。





2016年11月6日日曜日

いかに子供を「他人ごと」とするか


子供のピアノ発表会がありました。
本人よりも親のほうが緊張する、そんな経験、あるのではないでしょうか。

私も例によって当日ガチガチに緊張しましてね(4回目なのに)。

「直前までミスが多かったあの箇所、大丈夫かな」
「練習が足りなかったかも知れない」
「途中で真っ白になっちゃったら!?」

などと心配し、本人はまったく気にせず隣で唐揚げなどをモリモリやっているのにもかかわらず、親の私がお茶しか喉を通らなかったりするのです。

こういう状態を、心理学的に「課題の分離ができていない」状態なのだそうです。

本来であれば、本番がうまくいくかどうか心配すべきなのは本人であって、親の課題ではありません。しかし親は子供のことを考えるあまり、子供の問題を自分の問題ととらえてしまうことがあります。

自分の課題ではないのに子供の課題を自分のものとしてしまうと、

・ 子供に余計な口出しをする
・ 「あなたが心配だから」と信頼を損なうようなことを言う
・ 先回りして子供の自主性をそいでしまう
・ 焦りから叱りつけてしまう

など、よくない結果を招きがちです。

親はまず自分の子供が他人であることを認識しなくてはいけません
他人だからほったらかしていいということではなく、親は親としての課題に取り組めばいいのであって、子供の立場になりきる必要はありません。

子供の進路について、つい口出しをしてしまう人も多いのではないでしょうか。もちろん親としての意見や得られる情報は共有した方が良いでしょうが、進路は本来自分で決めるべきことです。「子供のためを思って」といいながら、実は自分の安心のため、しかし親の安心が子の幸せになるとは限らず、大事な決断を自分でして責任を取るという、人生において重要な経験を奪ってしまうことになります。

どんな結果になっても、「他人ごと」。
そう考えることによってはじめて、子供の意見や決断を尊重できるようになります。

そんなことを言っているのが、心理学者のアドラーさんです。



一見冷たいようですが、確かにそうだなと思います。
「親子なんだから」「私のお腹にいたんだから」と子供を自己と一体化するということは、思いやりであるようで実は子供をひとりの人間と認めていないということになります。

子供は、他人。
子離れはそこからスタートするのですね。
さて、私は、あなたは、スタート地点に立っているのでしょうか?