2015年12月23日水曜日

【へたうま】ガブガブ期

乳歯が生えてくるとかゆいのか、 何でもかんでもを噛みたがるようになります。
 ワンコを飼ったことがある人ならご存じではないでしょうか。 
息子の場合、 上下4本が生えかけの8カ月頃が、ガブガブ期のピーク。

いお0歳、ワニガメ化する。


モノ、ヒト、手当たり次第に噛みつく。 

被害者・被害物件が続出。

 特に袋系は大好物。















まさかのライスシャワー 


11カ月ごろになってやっと落ち着きました。
頑丈そうな歯が生えそろいました。 
人の肉を食いちぎる勢いの子供に、 なぜじっくりコトコト煮込んだ離乳食が必要なのか、めっちゃ疑問。 じつはもう骨付き肉とか食べられるんちゃうん。


2015年12月2日水曜日

【へたうま】フライング禁止

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 赤ちゃん期の醍醐味はハイハイだろうがよ。 こちとらそれが見たくて老体に鞭打ってもう1人産んだんだ。 1歳まではハイハイやってなさい。 フライング禁止!


2015年10月21日水曜日

【へたうま】引き出しあるある

いお9か月。つかまり立ちまっさかり。










右と左の動作がまだ連動していない年頃なのかなぁ。 

○お姉ちゃんたちが同じくらいの月齢だった頃の過去ログ 
 レゴの滝 
 ポイポイ期


2015年10月7日水曜日

組体操のピラミッド、上は怖いが下もツライ

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娘2人の通う小学校で運動会がありました。

 50m走で燃え、ダンスで萌え、バカ親って楽しいですね。

 6年生の組体操は、事故のニュースの直後でも大変人気がありました。
 (組み体操:大阪府八尾市小中学校 事故で12人骨折) 

10段はさすがにやりませんでしたが、6段か7段に挑戦して成功し、大喝采でした。それ以外の技でも、ピシッとポーズが決まるたびに大きな拍手が起こり、感動のあまり涙ぐんでいる保護者たちがたくさんいるのを見ると、「危険だと言われていても、組体操が運動会からなくなることはないんだろうなー」 と思いました。

問題になった学校で、ケガ人が続出したのにもかかわらず高層ピラミッドを続行した理由として、校長が「感動や充実感を味あわせてあげたかった」と答えています。 さて、感動や充実感を味わうのは、いったい誰でしょうか?もちろん本人たちも感じることがあるでしょうが、やっぱりあれは見る側のものでしょう。マスゲームは見ていると面白いですが、やるのは大変なわりには退屈なのです。

       ◇ 

私は組体操ではいつも「土台組」でした。ピラミッドはもちろん、タワーでもサボテンでも土台。小さいのが上で大きいのが下というのは分かるが、身長で土台順を決められるので、自分よりも背は低いが体重は重いやつを乗せなくてはならないという理不尽が発生することも。

ピラミッドで一番イヤだったのが、「下から2段目」です。最下段も膝に小石がめり込んで痛くてイヤですが、2番目のつらさはまた別です。何十キロ、何百キロにもなる重みが自分の肩から手の平に伝わり、 それがそのまま下の子の背中を押すのです。「いたい!いたい!」と下の子が泣いても、手を放すわけにはいきません。 私の上にはさらに6人の子が乗っているのです。放すと彼女たちが危ない。 自分の手が友達の体を壊してしまうかもしれない―。あの時の彼女の体操服の感触は、今でも手に残っています。それでも、笛が鳴ると全員で顔を上げ、笑顔を作らなくてはなりません。あれは一体何だったんでしょうか。

       ◇ 

でも、当時の私が組体操を嫌いだったかと言うと、そうではなかったので不思議です。やっぱり大変さを味わうと妙な達成感を得てしまうものなのでしょうか。

子供は良くも悪くも素直なので、高いピラミッドがすごいと言われればそうだと思うでしょうし、保護者の中にはまだまだ組体操が感動の定番という人も多いでしょうから、やっぱり行き過ぎによるリスクの管理は学校側がすべきなのでは、と思います。

ピラミッドがいけないとは思いませんし、リスクがあるのが悪いとも思いませんが、リスクに伴う安全管理をきちんとできたかどうかがポイントでしょう。4段も10段も教師側の対応は同じで、あとは生徒の努力と根性、というのでは問題ありますよね。

娘2人が6年生の組体操に感動したらしく、「私もやりたい!」と言っていました。 残念、君たちは土台だ確定だ。


2015年10月3日土曜日

出生前診断の「誤診」をどうとらえるか


診断結果は「正常」、生まれた子供は「ダウン症」で賠償金1000万円

出生前診断で「正常」と言われたから安心して産んだら重度のダウン症でたった3か月で亡くなってしまい、診断をした医師を訴えたというなんともやりきれない裁判の判決が出ました。


私が出生前診断を受けた時は、「あくまでも生まれる前に分かる範囲で下す診断であり、健康な子供が生まれることを保証するものではありません」と、100回くらい念押しされました。(参考:出生前診断を受けました

もし、診断をした医師が「絶対大丈夫!ダウン症の心配はまったくないですよ!」と告げていたなら問題あると思います。おまけに診断方法もマズかったらしく、裁判でも告知ミスが認められています。

しかし、どんな診断にも100%はないので、きちんとした検査で「正常」と出ても、障害がある子供が生まれることがあります。そんな時、裁判を起こす側は、医師の何の罪に対して訴えを起こしたらいいんでしょうね?

だって、子供が死んだのは医療ミスじゃないんです。

先天的にあった障害が原因なんです。

誤診かどうかも微妙です。本人(赤ちゃん)を診察したわけではないですから。

しかも、正しく診断されたとしても、治療することはできないのです。


今回の訴えでは、「選択の機会が奪われた」ことが重視されました。


「選択」とはつまり、産むか産まないか、という選択です。障害があるとわかっていたら、中絶する選択肢もあったのに、ということです。

しかし、これで医師の罪を問おうとすると、原告側に深刻な矛盾がうまれます。死んでしまった子供がかわいそう、命を何だと思っているの、などと訴えようものなら、「いやいや何言ってんの、アンタその子を殺そうとしてたんだよね?」とツッコまれてしまいます。裁判でとう扱われるかはともかく、自分自身がその矛盾にどう向き合えばいいのか、私には分からないです。


高齢出産が増え、これからは出生前診断を受ける人が増えていくでしょう。
するとこういった裁判も増えていくのでしょうか。

訴える方がモンスターなどと言うのは簡単ですが、やっと念願の妊娠をし、自費負担で出生前診断をし、「正常」の結果に安心して産んでみたら呼吸もままならない重度の障害で、一度も抱くこともできず苦しむところを見ただけで死んだ、なんてことになった時、どれだけの人が「ま、しゃーないわ」と割り切ることができるでしょうか。


技術の進歩で制度がどんどん上がっていく出生前診断ですが、「陰性」と出て健康な子供が生まれること以外、ハッピーエンドを想像することは難しく感じます。

2015年9月7日月曜日

【へたうま】1歳年下の妹と7歳年下の弟

あやに8歳と、1学年年下のさなさな

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 相手がいお0歳になると・・・ 150907_3.png

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子供には、「赤ちゃんのすることには怒らない」遺伝子か何か組み込まれてるんでしょうか?


あやにとさなさな、この年子の姉妹は基本的には仲が良いが、やっぱりしょーもないことでよくケンカをする。

一方、あやにはいお君にはとてつもなく優しく、何をされても絶対に怒らない。年が離れているからなのか、相手が赤ちゃんだからなのか。

ある意味、妹を人間扱いしているということかもしれないが、いお君への優しさの8%でもさなさなに分けてあげれば・・・と思わんでもない。


2015年9月2日水曜日

グロで脅す以外の平和教育はないのか



ふだんは寝つきの良い健康優良児さなさな6歳、

しかし最近やたらと寝つきが悪い。
電気を消すと嫌がるし、寝つけなくて何度も起きてくる。
こんなこと今までなかったのだが。


話を聞くと、どうやらここ連日学校でやっている平和教育が原因らしい。
原爆を中心とした凄惨な絵本や映画が教材に使われていて、
その内容が頭から離れなくてこわくて眠れないのだそうだ。


何してくれんねん。


子供の10時間睡眠はずっと死守してきたというのに。


聞けば授業中に泣き出したり給食を食べられなくなった子もいたそうだ。
そりゃちょっと前まで幼稚園児だった1年生にはきつい内容だってあるだろうよ。
寝不足になってまで学ばなければならない「平和」って何だろう?


思うんだけど、残酷な話やグロい映像で思考停止にしておいて
「はいこれが正しい答えだよ」って教え込むのって、洗脳だよね。
学校の平和教育って昔からこの手法で、ぜんぜん変わってない。


これって
「言うこと聞かないと怖いオジサンに連れていかれるよ」とか、
「悪い子は地獄に行って鬼に焼かれるよ」とか、
「早く寝ないとお化けが来るよ」
と何が違うんだろう。

学校でそんな迷信めいた手法を使っていいんだろうか。


恐怖で脅して、呪文のように「戦争反対」と教え込まれる平和教育。
これ以外の平和教育はないのだろうか?


国民がしっかり自分の頭で考えず、お上に従ったのだって戦争の一因だったのに。
しっかり自分の頭で考える平和教育をしなくていいのだろうか。


2015年6月26日金曜日

【へたうま】3人目6年ぶりの離乳食

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3人目とはいえ6年ぶりの離乳食。 上の二人がどんなだったか思いだしてみる。

●あやにの離乳食スタート時 150626_2.png 

●さなさなの離乳食スタート時 150626_3.png

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 ●いお君離乳食スタート 150626_5.png

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まだ5か月なのに、あっさり離乳食移行完了。
ミルクだと「歯ごたえがない」とか言いだしそう。
歯、まだ生えてないじゃん。

上の二人の時に離乳食でうまくいかなかった時ノウハウがけっこう蓄積してあったのに、 まったく不要。 いお君、おそろしい子。


2015年6月3日水曜日

【へたうま】ビンゴゲーム













水が半分入っているコップを見て、
「半分も入ってる」と感じるか
「半分しかないってない」と感じるかで
前向き度を測るかんたんな心理テストがあります。

さなさな6歳はコップに水が入っていなくても
「このコップ可愛い♪」とよろこぶタイプで、
あやに7歳はコップに水が満タンでも
「こんな小さいコップじゃ足りない!てか、なんで水?」と憤るタイプ。

足りているものに目がいって満足できるのは生きていくのに楽でいいですが、
足りないものに目がいくのも矛盾点や問題点を発見できる大切な能力です。







2015年5月21日木曜日

たくさん子供がいれば誰かが不幸になる現実



そこに30人の子供がいるとすると、
そのうち何人が将来幸せになって、
何人が不幸になるのでしょう?


たくさんの子供が楽しそうに遊ぶ風景をみると、どうしてもそんなことを考えてしまいます。


子供がたくさんいるってことは、いろんな未来があるってこと。
未来には、幸福な未来あれば、不幸な未来もある。


みんながハッピーになるなんてことはどうしたってあり得ないのだから、
まとまった人数の子供がそこにいるということは、
その中に将来とてつもなくひどい目にある子も絶対に含まれるということです。



悲惨ないじめにあったり、事故で大けがをしたり、誰とも仲良くできなかったり、ひどく困窮したり、パートナーから暴力を受けたり、薬が手放せないほど心が不安定になったりするかも知れない。周囲から虐げられ、何もしてもうまくいかず、生まれてきたことに何の価値も見いだせないまま、最悪の場合死んじゃったりもするのだ。

どんなに親ががんばっても、この世は誰もが幸福に生きていけるようにはできていなくて、ホントこればっかりはどうしようもない。


たくさんの子供の面倒を見ている先生や保育士さんは、怖くなったりすることがないのだろうか?
自分が世話をした子供の中には必ず不幸になる子がいるってこと。

どうして子供を持つ母親は自分の子供の幸せをああも無条件に信じていられるのだろうか?
自分の子供にかぎって不幸にならない保証なんてどこにもないのに。


私はずっと子供を持つことに強い抵抗があったのだが、いま思えばこういう理由だったのだと思う。
まあ3人も産んどいて今さら何だって話ですが。






2015年5月12日火曜日

譲ってもらった席には座ることにした




4月に3か月児を連れて東京に行った時の話。

昔ちょっと住んでたこともあるし、子連れで行くのもはじめてではない。
あいかわらずアホみたいに人が多い、アホみたいな街だ。
きっと住んでいるのもアホばっかりに違いない。


東京で子連れの電車移動したというと、

「みんな冷たかったんじゃない?」
「席ゆずってもらえた?」
「泣いたらにらまれなかった?」

と心配される。


ところが、抱っこひもで移動する私に、みんなフツーに親切だった。

席は譲ってもらえるし、
赤ちゃんはあやしてもらえるし、
重い荷物をはこんでくれた人もいた。

東京は子連れに冷たいというのは、地方発の都市伝説ではなかろうか。


で、電車で席を譲られる話だが。

私はいつも電車で座らない。
子連れだろうが子連れじゃなかろうが、昔から座る習慣がない。
普段は車生活だし、たまに乗るときもよほどガラガラで立っていると不自然というくらいじゃないと座らない。
足腰強いからあんまり疲れないし、真横に他人がいるところで座るのがイヤなんだ。
あと、立ってゆれている方が赤ちゃんが泣かなくていいという理由もある。

しかし抱っこの赤ちゃん連れだとさすがに目立つのか、いろんなひとがどうぞどうぞと席をゆずってくれる。
そこで「イヤ、いいです」と断ると、その人は「あ、そうすか・・・」と自分の席にもどることになる。

いかにも気まずそうだ。
親切にしてくれた人に気を使わせてどうする。

中にはすごすごと座りなおすのが嫌なのか、そのまま立っている人もいる。
すると席がひとつ開くのだが、近くに子連れがいるせいか誰も座らない。
不自然に空いたままの席が、妙な存在感をはなちながらそこにある。
これまた気まずい。


これはいかん、とおもった。


私が断ったばかりに、その人は「せっかく子連れに席を譲ろうとおもったのに、こんな気まずい思いをするくらいなら、いっそ寝たふりでもして二度とゆずったりするもんか!」と心に決めてしまうかもしれない。

もしくは、

私が座らなかったせいで空きっぱなしの席を見て、「私(俺)だって座りたいのに子連れが近くにいるせいで座れないじゃないか!子連れムカつく!」と思う人がでてくるかもしれない。

そんな人が1人、また1人と増えていくと、ますます子連れに優しい人が減って、他の子連れの人達に迷惑をかけてしまう・・・!


というわけで、これからは席を譲られたら座ろうと思う。
ステキな笑顔でありがとうと言って、譲ってくれた人がやってよかったと思う、見ている人も気分がいいような風景を作ろうと思う。

ぶっちゃけ立っていた方が居心地がいいんだけど、そんなことはおくびにもださず、赤ちゃんは泣かないよう貧乏ゆすりでもしてこっそりあやし、圧迫感のある座席に快適そうに座っているふりをしようと思う。

そうすれば子連れに優しい社会になるはず。
他の座りたい子連れの人たちのために、あたし、がんばる!



2015年4月28日火曜日

PTA委員選出は春の風物詩



先日、小学校で新学年初めての保護者懇談会がありました。
新学年の保護者懇談会といえば、ザ・PTA委員の選出です。
それが決まるまでは、保護者はおうちに帰らせてもらえません。

誰かが立候補するまで帰れませんの刑」、皆様はもう体験なさいましたでしょうか。

あれ、本当に面白い儀式ですよねー。去年初めてで今年は2回目なのですが、何度やっても味わい深いです。気まずさと沈黙、浮遊する視線と、時々もれる意味不明な薄笑い。まさに空気による支配。たまりません。


こまごました連絡事項までは和気あいあいとした雰囲気で過ごすのですが、司会の方が「ハイ、では今年度の委員の選定にうつらせていただきます」と宣言した途端、教室中にピシッとした緊張感が走ります。誰もがうつむき加減になり、あくまでも自然をよそおって司会者と目を合わそうとしません。

みんないい歳の大人のはずですが、「今日は5日だからー、えーと」と生徒を物色する教師から必死で目をそらす出席番号5,15,25番の中高生のような態度です。


当然ながら、誰もやりたくないわけです。でも、必ず決めなければなりません。基本的に、すでに委員をやっているなどの免除項目に該当しない限り、みんなが平等に立候補の対象です。


ですが、司会の人が気を利かせてこんなことを言う場合があります。
「何か特別な理由で辞退したいという方いらっしゃいませんか?」

これは危険です。トラップです。
安易な理由で免除してもらおうとしたら大ヒンシュクです。

「忙しいから」とかダメです。忙しい人は本当に忙しいですが、忙しいは主観的な基準なので、おそらく多くの学校で理由として認められていません。「アタシ仕事をしているので」とか絶対ダメ、タブーです。専業主婦陣営の怒りゲージが一気にMAXに達します。

その場で全員を納得させるには、「夫の暴力と借金のために子供5人のシングルマザーになって1日12時間働いているのに1日1食しか食べられなくて、そういえば昨日自宅が火事で燃えた」くらいのインパクトのあるエピソードが必要です。

そこまで個人的な恥をさらしても、司会は「じゃあ○○さんを免除してもいいと思われる方は拍手をして下さい」と容赦ないジャッジ方法を提示します。みんなから盛大な拍手をもらえない限り免除はナシというコレ何てまな板の鯉。見たことはありませんが、もしこれで拍手をもらえない人がいたらどうしようと想像しただけで気が気ではありません。


運よく積極的な人が立候補をしてくれればあっという間に終わりますが、そうでない場合は「どなたかいらっしゃいませんかぁ~・・・」という司会の悲痛な声と、「誰かやってよー!」という大勢の心の声の波状攻撃に耐え続けなければなりません。そして、あの気まずい雰囲気に最後まで手を上げなかった人が勝ちです。なんだか息止めガマン大会のようですね。


ちなみに、2年生以上になると保護者も慣れてくるのか、さっさと立候補する人が増えてきます。やっぱり一番緊張感があるのは1年生ですかね。


毎年恒例、「PTA委員に誰かが手を上げるまで帰れませんの刑」、
桜、センバツ、初鰹にならぶ、春の風物詩ですね。


(※上記はwakaniのケースで、他校ではまたちょっと違うかもしれません)


2015年4月10日金曜日

文科省から配られた教科書を入れる封筒が恩着せがましい



次女が小学一年生になりました。去年長女にが入学していることもあり、親子で緊張感のないゆるーい感じの入学です。

さて、入学式の日には教科書の配布があるのですが、そこにこんな封筒が添えられていました。



教科書を入れるように文科省から配布されている封筒で、その裏面にこんな文言が。


wakani要約:
「この教科書は国がタダでくばってやってるんだぜ。ありがたいだろ?だからしっかり国の繁栄と福祉に貢献しろよ。子供にもそのへんよーく言って聞かせて、大事に使えって言っとけ。 by 文部科学省」

・・・
・・・

読んだ瞬間「はぁ!?」ってなりました。

もともとの文章はもっとていねいな言葉づかいですが、このくらい人をイラッとさせる見本のような文章でした。私は明らかに不快でしたが、他の人は大丈夫だったんでしょうか。


無償配布はありがたいし、教科書を大事に使うのは当然のことだから、
それほど間違ったことは書いてないはずなのに、何がこんなに不快だったのか、ちょっと考えてみました。


まず、
お前の手柄じゃねぇよ
というのが大きいですね。

そもそも原資は税金であり、なにも文科省がポケットマネーから出してくれているわけではありません。無償配布が始まったのも、もともとは有償だったものが昭和30年代の国民運動からしぶしぶ認められたものです。感謝するとしたら、税金を払ってくれているみなさん(注:自分含む)と、そういった運動に従事してこられた方々です。


次に、
なんで教育の目的が「国の繁栄と福祉に貢献」ありき?
これに尽きます。

たぶん一番問題視されるのがココ。別に子供が日本のために頑張ろうとすることはかまいませんが、教育の目的はそれだけじゃないし、小学校の教科書もらったくらいで人生のゴール設定されたらたまったもんじゃありません。じゃあナニかい?将来海外で活躍したり外国籍取ったりしたら非国民なわけかい?教科書代請求されるんかい?教育って国のためにあるんかい?


あとね、
教科書配布にかこつけて自省の宣伝
っていうのが気にくわない。

表にも裏にも印刷された「文部科学省」の文字。スマホ画面をスクロールした時にしれっと出てくる広告レベル。ウザい。何度も言うが、教科書無償配布は文科省の手柄じゃない。これが多くの小学校で教科書とともに配られる。いらなくても配られる。先生だっていそがしいのに、全員に配る。ムダ。


きわめつけ。
教科書を入れるために配られている封筒でありながら、
教科書入らないし!小さすぎるし!

もうね、説明する先生も「すいませんねー、それには入らないんですよー、アハハー」って感じで、強制だから仕方なく配ってるって丸わかり。子供たちが無理やり教科書を入れようとして、教室中に響き渡るビリッ!バリリッ!というなさけない音。ついでにいうなら、入学式の日なんて大荷物になるって文科省も絶対知ってるんだから、配るんなら手提げだろ。持ちにくい封筒タイプ、重い本を入れるのに破れやすい薄い紙、そもそも足りていないサイズ。不毛・・・!まさに不毛・・・!


この思いやりのなさ、非効率さ、恩着せがましさが日本の公教育の現状を表しているのだとしたら、なんだか暗ーい気持ちになってきます。現場の先生の努力でカバーできたとしても限度があるでしょう。だからみんな私学や海外に逃げていくのでしょうか。お金がある人はそれでいいかもしれませんが、そうじゃない人はどうすればいいんでしょうか。

とりあえず来年あたりからこのダサくて使えない封筒がなくなってくれたら、「文科省も分かってくれたんだ!」と日本の教育システムに希望が持てる、かも知れません。

2015年4月6日月曜日

【へたうま】きにしい

あやに7歳は「気にしい」である。

【気にしい】
 心配性な人、何かとすぐ気にする人を表す大阪弁。





気ぃつかうわ!

うかうかモーツァルトにもコメントできやしない。

他者との境界線があいまいな人、とでも言うのでしょうか。
「人は人、自分は自分」という考え方がしにくいタイプの人がいるのだそうです。

あやにの場合、他人への賞賛=自分への批判と受け止める傾向があり、
自分の前で誰かがほめられると、ショックを受けたり必死で自己弁護したりします。
だからってモーツァルトに反応すんなよ。

じゃあ逆に、他人への批判は自分への賞賛と取るのかというとそうではなくて、
それはそれで自分も一緒に責められている気がするのだとか。
うーん、どっちにしても気にするわけですね。

それじゃあ、自分が褒められるのはさすがに前向きに受け止めるだろうと思いきや、
肝心の自分への賞賛はたまたま聞いていないことが多いという、間の悪い子・あやに。

どないせーっちゅねん。


気にしい自体は悪いことはじゃないと思うけど、
自己肯定感が得にくいタイプであることは気をつけなくちゃいけないと思うのよね。