2015年4月28日火曜日

PTA委員選出は春の風物詩



先日、小学校で新学年初めての保護者懇談会がありました。
新学年の保護者懇談会といえば、ザ・PTA委員の選出です。
それが決まるまでは、保護者はおうちに帰らせてもらえません。

誰かが立候補するまで帰れませんの刑」、皆様はもう体験なさいましたでしょうか。

あれ、本当に面白い儀式ですよねー。去年初めてで今年は2回目なのですが、何度やっても味わい深いです。気まずさと沈黙、浮遊する視線と、時々もれる意味不明な薄笑い。まさに空気による支配。たまりません。


こまごました連絡事項までは和気あいあいとした雰囲気で過ごすのですが、司会の方が「ハイ、では今年度の委員の選定にうつらせていただきます」と宣言した途端、教室中にピシッとした緊張感が走ります。誰もがうつむき加減になり、あくまでも自然をよそおって司会者と目を合わそうとしません。

みんないい歳の大人のはずですが、「今日は5日だからー、えーと」と生徒を物色する教師から必死で目をそらす出席番号5,15,25番の中高生のような態度です。


当然ながら、誰もやりたくないわけです。でも、必ず決めなければなりません。基本的に、すでに委員をやっているなどの免除項目に該当しない限り、みんなが平等に立候補の対象です。


ですが、司会の人が気を利かせてこんなことを言う場合があります。
「何か特別な理由で辞退したいという方いらっしゃいませんか?」

これは危険です。トラップです。
安易な理由で免除してもらおうとしたら大ヒンシュクです。

「忙しいから」とかダメです。忙しい人は本当に忙しいですが、忙しいは主観的な基準なので、おそらく多くの学校で理由として認められていません。「アタシ仕事をしているので」とか絶対ダメ、タブーです。専業主婦陣営の怒りゲージが一気にMAXに達します。

その場で全員を納得させるには、「夫の暴力と借金のために子供5人のシングルマザーになって1日12時間働いているのに1日1食しか食べられなくて、そういえば昨日自宅が火事で燃えた」くらいのインパクトのあるエピソードが必要です。

そこまで個人的な恥をさらしても、司会は「じゃあ○○さんを免除してもいいと思われる方は拍手をして下さい」と容赦ないジャッジ方法を提示します。みんなから盛大な拍手をもらえない限り免除はナシというコレ何てまな板の鯉。見たことはありませんが、もしこれで拍手をもらえない人がいたらどうしようと想像しただけで気が気ではありません。


運よく積極的な人が立候補をしてくれればあっという間に終わりますが、そうでない場合は「どなたかいらっしゃいませんかぁ~・・・」という司会の悲痛な声と、「誰かやってよー!」という大勢の心の声の波状攻撃に耐え続けなければなりません。そして、あの気まずい雰囲気に最後まで手を上げなかった人が勝ちです。なんだか息止めガマン大会のようですね。


ちなみに、2年生以上になると保護者も慣れてくるのか、さっさと立候補する人が増えてきます。やっぱり一番緊張感があるのは1年生ですかね。


毎年恒例、「PTA委員に誰かが手を上げるまで帰れませんの刑」、
桜、センバツ、初鰹にならぶ、春の風物詩ですね。


(※上記はwakaniのケースで、他校ではまたちょっと違うかもしれません)


2015年4月10日金曜日

文科省から配られた教科書を入れる封筒が恩着せがましい



次女が小学一年生になりました。去年長女にが入学していることもあり、親子で緊張感のないゆるーい感じの入学です。

さて、入学式の日には教科書の配布があるのですが、そこにこんな封筒が添えられていました。



教科書を入れるように文科省から配布されている封筒で、その裏面にこんな文言が。


wakani要約:
「この教科書は国がタダでくばってやってるんだぜ。ありがたいだろ?だからしっかり国の繁栄と福祉に貢献しろよ。子供にもそのへんよーく言って聞かせて、大事に使えって言っとけ。 by 文部科学省」

・・・
・・・

読んだ瞬間「はぁ!?」ってなりました。

もともとの文章はもっとていねいな言葉づかいですが、このくらい人をイラッとさせる見本のような文章でした。私は明らかに不快でしたが、他の人は大丈夫だったんでしょうか。


無償配布はありがたいし、教科書を大事に使うのは当然のことだから、
それほど間違ったことは書いてないはずなのに、何がこんなに不快だったのか、ちょっと考えてみました。


まず、
お前の手柄じゃねぇよ
というのが大きいですね。

そもそも原資は税金であり、なにも文科省がポケットマネーから出してくれているわけではありません。無償配布が始まったのも、もともとは有償だったものが昭和30年代の国民運動からしぶしぶ認められたものです。感謝するとしたら、税金を払ってくれているみなさん(注:自分含む)と、そういった運動に従事してこられた方々です。


次に、
なんで教育の目的が「国の繁栄と福祉に貢献」ありき?
これに尽きます。

たぶん一番問題視されるのがココ。別に子供が日本のために頑張ろうとすることはかまいませんが、教育の目的はそれだけじゃないし、小学校の教科書もらったくらいで人生のゴール設定されたらたまったもんじゃありません。じゃあナニかい?将来海外で活躍したり外国籍取ったりしたら非国民なわけかい?教科書代請求されるんかい?教育って国のためにあるんかい?


あとね、
教科書配布にかこつけて自省の宣伝
っていうのが気にくわない。

表にも裏にも印刷された「文部科学省」の文字。スマホ画面をスクロールした時にしれっと出てくる広告レベル。ウザい。何度も言うが、教科書無償配布は文科省の手柄じゃない。これが多くの小学校で教科書とともに配られる。いらなくても配られる。先生だっていそがしいのに、全員に配る。ムダ。


きわめつけ。
教科書を入れるために配られている封筒でありながら、
教科書入らないし!小さすぎるし!

もうね、説明する先生も「すいませんねー、それには入らないんですよー、アハハー」って感じで、強制だから仕方なく配ってるって丸わかり。子供たちが無理やり教科書を入れようとして、教室中に響き渡るビリッ!バリリッ!というなさけない音。ついでにいうなら、入学式の日なんて大荷物になるって文科省も絶対知ってるんだから、配るんなら手提げだろ。持ちにくい封筒タイプ、重い本を入れるのに破れやすい薄い紙、そもそも足りていないサイズ。不毛・・・!まさに不毛・・・!


この思いやりのなさ、非効率さ、恩着せがましさが日本の公教育の現状を表しているのだとしたら、なんだか暗ーい気持ちになってきます。現場の先生の努力でカバーできたとしても限度があるでしょう。だからみんな私学や海外に逃げていくのでしょうか。お金がある人はそれでいいかもしれませんが、そうじゃない人はどうすればいいんでしょうか。

とりあえず来年あたりからこのダサくて使えない封筒がなくなってくれたら、「文科省も分かってくれたんだ!」と日本の教育システムに希望が持てる、かも知れません。

2015年4月6日月曜日

【へたうま】きにしい

あやに7歳は「気にしい」である。

【気にしい】
 心配性な人、何かとすぐ気にする人を表す大阪弁。





気ぃつかうわ!

うかうかモーツァルトにもコメントできやしない。

他者との境界線があいまいな人、とでも言うのでしょうか。
「人は人、自分は自分」という考え方がしにくいタイプの人がいるのだそうです。

あやにの場合、他人への賞賛=自分への批判と受け止める傾向があり、
自分の前で誰かがほめられると、ショックを受けたり必死で自己弁護したりします。
だからってモーツァルトに反応すんなよ。

じゃあ逆に、他人への批判は自分への賞賛と取るのかというとそうではなくて、
それはそれで自分も一緒に責められている気がするのだとか。
うーん、どっちにしても気にするわけですね。

それじゃあ、自分が褒められるのはさすがに前向きに受け止めるだろうと思いきや、
肝心の自分への賞賛はたまたま聞いていないことが多いという、間の悪い子・あやに。

どないせーっちゅねん。


気にしい自体は悪いことはじゃないと思うけど、
自己肯定感が得にくいタイプであることは気をつけなくちゃいけないと思うのよね。