2016年4月1日金曜日

「保育園落ちた日本死ね」だから伝わったこと


ちょっと出遅れた感があるけど、「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが大反響を呼んでいます。

ネット上で大騒ぎになるだけではとどまらず、各地で署名運動がおこり、国会で質疑され、デモを誘発するまで発展しました。政治的イデオロギーの材料にされた感があるのは余計でしたが、多くの保活経験者の賛同を得たのは確かです。私の周りでも「わかる」「ほんまそれ」と共感する人が多くいました。

一方で、あからさまに嫌悪感を示す人も少なくありませんでした。その理由としては、

「文章が感情的過ぎる」
「言葉づかいがひどい」

といったものが主にあげられます。

たしかに、「死ね」とか「ボケ」とか「ふざけんな」とは、おだやかではありません。個人のブログとはいえ多くの人の目にふれる前提で書く文章にはあまり採用しない言葉たちです。

しかし、このブログは幅広い読者から賛同を得ました。感情的で、乱暴な文章でありながら、なぜでしょうか。
私は、感情的で乱暴な文章だからこそだったと思います。


もしこれが常識的な文章によって書かれていたとしたら、ここまでの反響はあったでしょうか。
たとえばタイトルの「保育園落ちた日本死ね!!!」を、お行儀よく修正したらどうでしょう。

まず「落ちた」を丁寧語にして、「落選しました」とします。
「日本死ね」は、言うまでもなく日本が国家として滅びろという意味ではなく、行政にしっかり子育てしやすい社会になるよう仕事しろという主旨なので、そのように書きます。びっくりマークは全部削除。するとこうなります。


「保育園に落ちました。行政の皆さん、子育て政策の改善をおねがいいたします。」

なーーーーんにも面白くないなコレ。

バズると思うかい?2000回シェアされると思うかい!?


保活っていうのは一回やってみたらわかると思うけど、すっごい大変なのに、どこか滑稽感の漂う妙な活動なのです。失敗したら失業もありえるまさに死活問題であり、子供に快適な保育環境を与えられるかといった責任の問題であり、そこまでして働かなきゃいけないのかという価値観との戦いでもあります。

認可保育園は12名定員で120人待ちとか意味不明で、認可外にもいいところはあるが質は一定ではなく保育料も高い。クッソ忙しいのに赤子を抱えて一軒一軒見学に出かけ、点数を稼ぐためには何ができるかリサーチし、申込時には不自然に多い書類を手書きして行列に並んで手続きをし、あとは神社に願掛けでもして通知が来るのを待つ。

東京都内周辺ほど激戦区ではない地方に住んでいて、フリーランスで時間がある程度自由になり、無事に第一志望に0歳で潜り込めた私でさえ、激しい不安感と焦燥感と徒労感と、そしてなぜか罪悪感を覚えたものでした。

そんな笑っちゃうような苦労をした挙句、最終的には落選しましたなんてことになった日にゃ、出てくる言葉はこれしかありません。

「日本死ね!!!」


事実や情報を理性的な文章で書くことは、訓練さえ積めば比較的簡単です。
しかし、感情を文章化することは難しい。

試しに、今めちゃくちゃ怒っていることを論理的な文章にしてみてください。
良い文章になればなるほど、怒りは伝わりにくくなるはずです。

多くの情報を正しく伝えるには、論理に勝るものはありません。
しかし、人間は感情を伝えないと共感しあえないのです。

感情的であることは基本的にネガティブに捉えられがちですが、
感情を表現するには感情的な方法が一番です。乱暴で、攻撃的で、下品で、簡潔、それでいて笑いがある。
だから、あのブログは共感されたのです。

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